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2006年5月31日 (水)

松原御船歌保存会・祐親まつり奉納舞台

 5/28(日)第31回「祐親まつり」水上舞台での御船歌御奉納である。実は昨日から降り続く雨に心配をしていた。午前中は公務として、ゴミゼロクリーン作戦に出陣予定だったのだが、中止になってしまう。自身が推進する地域エコ通貨「温銭」運営委員会としても協賛の中、温銭の使える事業所メニューに100温銭を添付して1200部を作成していたのだ。参加者全員に配る予定だったのに、とにかく残念の一言である。

 お昼近くに藤の広場へ出向く。NPO法人まちこん伊東の同志が、この祭りへ協賛出店してコーヒーやレモンを販売している。また、役員をしている伊東ミュージカル劇団の公演もあるので、団員を激励し舞台準備を手伝うことにした。400年前、伊東で日本初の洋式帆船ヴェンツェーラ号を造船したウィリアム・アダムスこと三浦按針の物語「青い目のサムライ」を演じた。子供達は、歌や踊りの先生達のレッスンを小さな体に受け止めて、立派なステージをつとめ上げた。大喝采である。その後、伊東祐親を顕彰するセレモニーへ市議として参加し、いよいよ御船歌奉納舞台が近づいてきた。

 久しぶりに着物に手を通すと気持ちが引き締まる。保存会揃いの袢纏を羽織り東海館へ向かう。水上舞台の出待ちは「鏡の間」である。水面に勇姿を映し心を整えることからの命名であろう。いよいよ出番だ!!松原神社杉本宮司を先頭に、あげ歌三名・がわ歌十名、そして御船歌「初春」と「八幡丸」の紹介役の私が位置付いた。風の流れをマイクが拾っている。ゴーゴーと音が耳に当たってくる。心を落ち着けて曲紹介に入った。

 最初の曲は、「初春」でございます。この歌は、激しい戦の中で、武勲、功を成し、やがて戦を納め、心のなごみを取り戻す時の移ろいが、四季の彩りになぞられて歌われた御船歌でございます。この御船歌は、松原神社秋期例祭におきまして、神社から御輿が発御するにあたり、最初に奉納する御船歌です。

 あら~めで~たいな~・・・・・・・・とあげ歌が入り、がわ歌と声を合わせる。出だしは上々、風に流されずに最後まで歌い上げた。次は「八幡丸」だ。一段と力が入る。

 万葉から江戸の世に連綿と伝わる、伊豆の造船にかかわる海人の思いが歌われております。400年前、家康の命を受け、この松川に注ぐ唐人川の河口で日本初の洋式帆船「按針丸」が建造されました。そして、その26年後、家光が乗船したとも言われる巨大軍船「安宅丸」の新造にも至った歴史ロマンでございます。松原は、八幡山に生い茂る楠で建造された戦船「八幡丸」の戦勝と航海への安全を、船内に祀る「船玉神社」の船神様に、海人の思いを祈願する様が歌われてります。この御船歌は、松原秋期例祭におきまして、海上渡御の際、松原海岸に祀られております海津美神社を御輿が発御するにあたり、御奉納申し上げる御船歌でございます。

 先にも増して、力強い「八幡丸」が14名の特訓の成果として、神々しい抑揚をもって歌いあげられた。観客席の真ん中に座した「御船歌師」山本義治師匠の満足そうな顔が印象的であった。一つの目的の為に、大の大人が素直に一つになれた意義深い奉納舞台であった。やり遂げた同志それぞれは、松原御船歌保存会の先行きに新たな意欲をかり立たせたに違いない。

20060611190212_edited (後列左端しが私です)

2006年5月27日 (土)

第1回西島あきら市政報告会

 Img_0659 5/22(月)朝から落ち着かない。夜に予定している初めての報告会のことが気がかりで仕方がない。どのように話そうか?どのくらい来てくれるのか?とにかく全てが不安である。9時前に登庁し、10時から福祉文教常任委員会協議会に臨む。社会福祉法に基づく伊東市地域福祉計画策定の概要についての審議である。この4月から、介護、障害者支援などの法改正による市の計画づくりである。具体が見えない中、仕組みや方法も見えにくく、明文化だけがされることは心配である。受益者負担は、相応の責任としてやむを得ないが、頼る・頼られる福祉では先き行かない時代である。その後、議会報委員会を済ませ午後3時に退所した。

 市政報告会会場に着くと、目標数100の席がセッティングされている。びびりと焦りで10脚減らしてもらった。午後6時の受付開始前に10名ほどの方がお見えになり、先ずホッと一息!時を追うにつれ続々と出席くださる方々が参集される。増脚に次ぐ増脚にあたふたするも、目標を大きく上回る150名が会場に入りきれない程の盛況に、全てに感謝である。

Img_0657 (NPO-法人まちこん伊東・上山代表理事ご挨拶)

 青木後援会会長の挨拶のあと、ご来賓の上山氏にお言葉をいただいた。そして、私の市政報告である。伝えたいことが沢山ある。先ず、伊東市観光・文化施設「東海館」孔雀の間修復のいきさつからお話しした。我が郷土の旅館文化の生き証人を、いかに保全し市民で育み、次世代につなぐかを・・・観光活性と自然歴史文化の協調は微妙な面も有るが相互の最大値である接点を、相互で見つけ出すテーブルを本気で設定する必要がある。

Img_0658 (市政報告中の西島彰)

 マリンタウンに年間200万人余の来客がある。この方々に是非、市街地へ来ていただきたい。10月から循環バス実験が始まるが、街のお店達が魅力を高めないと、街へ向かう意識付けは難しい。先ず、個店の充実を図ろう!また、船で(出来得れば、400年前、日本初の洋式帆船建造の地にちなんだ按針丸を復刻)マリンタウン・観光桟橋・松川遊歩道・東海館・杢太郎記念館・商店街伊東駅・バスのルートづくりがベターである。

Img_0660 (会場風景)

 商店街活性・地域通貨・支え合うコミュニティづくり・健全な自然保全等々、議員前の市民活動家としてのスタンスの延長線で、議員の持ち味を活かし伊東の活性化を実働の中で具現化させたいと思っている。議員然とした言葉や態度でなく、分かりやすい言葉、分かりやすい方法、共に動きやすい行動で示していくことと理解している。伊東再生を願う市民の評価の中で、自分らしい行為行動を日々積み重ねてまいることが、愛する伊東観を共有することに繋がるものと切磋琢磨してまいります。

Img_0661 (受付、案内等に大活躍の美人応援団)

 商店会・NPOまちこん・まちづくり・商連・行政区・町内会・御船歌保存会・地域エコ通貨温銭・同級生・美容関係・お客様・友人・親戚・身内・・・応援下さいました心温かい沢山の皆様に、あらためまして御礼申し上げます。併せまして、今後へのご指導ご鞭撻をお願い申し上げ、第1回西島あきら市政報告会の開催報告といたします。

2006年5月18日 (木)

アースデイファームwith温銭

 5/11(木)朝8時前にYさん宅に菊イモの苗を頂きにあがる。Yさんは、伊東ガーデニングクラブのメンバーで、温銭の会員でもある。先日、我が美容室にご来店頂いた折り、渋谷のアースデイマネーとの協働ファームを耕作する話をしたところ、快いご理解で30本の菊イモの苗を下さる約束をしてくれたのだ。

Img_0627 (耕耘機で畝づくり)

 アースデイマネーは地域通貨実践の草分け的存在である。我が地域エコ通貨「温銭」の立ち上げに大きな力を頂いた間柄である。昨年3月、渋谷のアールと、伊東の温銭が相互利用できる覚え書きに調印した。全国でも例を見ない交流に、地元は勿論、大きな新聞社、NHK静岡、テレビ東京のWBSまでが取材に来た程である。どういうことかと言えば、東京渋谷アースデイマネーのボランティア活動に参加して獲得した地域通貨「アール」を持って伊東に来れば、地域エコ通貨「温銭」と等価交換できて、その上に、お風呂料金やお土産代、宿泊料金の一部に使用できるのである。伊東に於ける使えるお店は70余事業所が加盟している。まさに地域貢献と経済活性がリンクした仕組みなのだ。勿論逆も真なりで、渋谷の加盟店でも使用できることになる。

Img_0628 (遠景に手石島を望み、草を刈る)

 要するに、アースデイファームwith温銭は、伊東湾を一望する空気の美味しい畑で、農業体験ができることである。東京から見えた方々が、この畑作業を手伝うと、労働の対価として「温銭」を手に入れられる訳だ。使えるメニューに従って、手にした温銭を使用して伊東を楽しんでいただく、貢献と体験と、観光活性のモデル事業として試行錯誤を続けているところである。温銭会員のご厚意で300坪をお借りしている。昨年はこの畑で蕎麦づくりに挑戦したのだが、収穫はほんの僅かで討ち死にしてしまった。

Img_0626_1 (菊イモが植えられた)

 春になり、草木もみるみる枝葉をのばし、ほっておくと草ぼうぼうとなる。手が付けられるうちに耕耘機をかけ、草を刈ることにしたのだ。日野さん・海老原さん・福田さんは皆都会からの移住組である。企業戦士からリタイアした後の「心豊かな生き方」を示している方々だ。いつも感心するほどの気力・体力そして培った知識が、私たちに学習を与えてくれる。

Img_0629 (すっかり綺麗になった駐車スペース)

 貴方、温銭の仲間になりませんか?ささえ合う心根の循環が、豊かなコミュニティをつくります。恐ろしい事件が後を絶ちません。相手の気持ちになれる人が少なくなったのでしょうか。教育のあり方を考え直さないといけないと思います。私は偉そうなことを言う立場におりませんが、家庭、親子、兄弟の日常が教育の基盤にあると思うのです。顔を一番近くで会わすつながりが、一番心の遠いコミュニティになっていると思うのですが・・・。

2006年5月16日 (火)

静岡呉服町商店会視察

 5/8(月)伊東市議会地域活性化委員会の視察で、静岡市に二ヶ所の視察に行った。市のマイクロバスでおよそ2時間、浅間通り商店街である。大きな鳥居が象徴するように、かつては門前町の賑わいを呈した通りであろう。6、7年前だろうか?この商店会のアーケード事業について話を伺いにきたことがある。執行部のレクチャーは熱く、事業の推進状況と今後の振興への期待感に感化された思い出がある。今日この街を歩いて感じた寂しさは何だろう!!高度化資金による補助事業が、必ずしも活況を手にする訳もない。ハードの完成を以て気持ちが萎えるのだろうか?日本の各地に同様の商店街が溢れている。少なくとも自分たちは、この仲間にはなりたくない。しかし、儲かっていると言い切る商店街は全体の2%にも満たないのだ。しっかり、心しないと・・・と思いを新たにする。

Img_0610 (浅間通り)

 伊勢のおかげ横町、長浜、川越など地域の歴史文化とリンクした、懐かしい環境を活かしたまちづくり・みせづくりで実績をつくっている。足元を見た、その地の「らしさ」をすることが、他地区との差別化につながり、それが魅力になると思うのだが・・・。

Img_0609 (途中出会った循環ワンコインバス)

 今度は、呉服町商店街である。城下町としてのまちづくりが今に活況を続けている。県・市の行政機関が集中して交通の拠点駅に繋がる。それらの間を商人同志の知恵と行動で賑わいを呼び寄せている。国が言うコンパクトシティを既に実践している。生まれ持った立地的要素が大きな味方ではあるが、更に活かす継続的努力をかいま見た。一店逸品がその象徴である。売れている間に、賑わっている間に次の商品の開発や新たな企画、長期的なヴィジョン策定、人材づくり、基盤整備等ぬかりなく進化しているところはなかなかない。呉服町そのものをブランドとして高め続けている皆さんに敬服の一語である。呉服町は商店街のディズニーランドと言えそうだ。(褒めすぎか!)

Img_0613 (道路に意識的にカーブをつけ、車のスピード軽減をかかる手法で、交通安全を推進している)

 特に感心したことは、空き店舗を出した大家さんが、その店舗の会費を補填することである。また、空き店舗にどの業種を誘致するか?を相互で検討して対象を決めていると言う。私が常々思い、言ってきたことは、賃貸業は店舗が商品なのだから、その商品価値を高める環境の価値を高める努力をすべきだ!!と言うことである。店子の責任と高をくくっている大家!!目をさませ!! 各個店も永い眠りから、いいかげんに目覚めよう!

 

 

2006年5月 6日 (土)

伊東・松原御船歌保存会

 「御船歌(おんふなうた)」の定例稽古に参加した。伊東・松原に伝わる御船歌を後世に伝承するための保存会である。私は新参者で、居るだけのことしか出来ることがない。が、秋の例祭を執り行う重要な役割を果たしている「御船歌」の神にもとどく重厚な御歌に心を揺すられ、仲間に入れていただいたのが今年一月である。

20060516131854 (伊豆新聞より)

 「御船歌」の起源は定かではないが、鎌倉時代に溯るようだ。九州方面から、海で生活を営む人々によって我が郷土伊豆にも流れ伝ったとされている。紐解けば、室町時代、九州や瀬戸内の水軍や海賊衆が、軍兵の士気の高揚や統率の強化を目的に歌い始めたものであろうと言われる。海人の夢や生まれ育った土地への思いを歌詞に込め、歌い永らえて集団的な祝い歌として生活に位置付いたものと思われる。

20060516132154 (伊豆新聞より)

 当地松原では、松原神社例祭の執行組織として、松原消防団の団員やそのOB等が主軸となり編成され、氏神の御魂が入魂された御神輿が、海中渡御の巡幸に向け社を発御するとき、御仮宿に着御するとき、更に、催事を終え社に御神輿が着御し御魂を奉還する儀式の際に御船歌を奉納している。

20060516132045 (伊豆新聞より)

 来る5/28に開催される「祐親まつり」の水上舞台へ「御船歌」を奉納するために保存会会員の士気は上がっている。稽古には大先輩の山本御船歌師にご足労いただきご指導を仰いでいる。失礼な言い方だが、年齢に似つかわないボキャブラリィに溢れる言葉の遊びに感心している。また、体験の中から時代を彷彿とさせる話の数々に、古き良き時代の風俗、習慣がセピア色の生活映像として脳裏をよぎる想いである。まだ歌うお役目が出来ない私は、奉納する「初春」と「八幡丸」の説明をすることになった。着物に揃いの袢纏に身を整え、晴れの舞台へ立つ。

2006年5月 3日 (水)

江戸城石丁場遺跡その2

Img_0600  今日も太ももの内側と膝が痛い。昨日と同じだ。明日はどうなるのだろう?

 五月一日、先に掲載した江戸城石丁場の個人視察をした。ことのほか暑い!今年最初の夏日となった。強風吹き荒れる中、山に入る。ご同行いただいたのは写真家のT氏と史跡(考古学・歴史)研究関係二名、そして私の4名で4駆に乗り込んだ。

 Img_0604 (調査風景)

最初の石丁場は湯川山である。曲がりくねった細い山道を登っていく。自分で運転していたら後戻りしていたと思うほどの断崖が恐ろしい!!降車して歩き出すと竹林から杉林が混在している。沢には透き通った清水が流れている。あちこちに石が転がっている。角石に使われる直方体の築城石だ。平石も沢山ある。刻印も様々で、輪ちがい・久・大・扇・十・○の中に一・卍など探すのが楽しくなってしまう。登りの息切れなど吹っ飛んでしまった。

Img_0585 (角石・石垣の角に使用する大きめの四角い石)

Img_0584 (卍の刻印がある)

 刻印の大きさや組み合わせで大名や石工の区別がされていたようだ。「すだれ」がかかった石が結構あった。先日のシンポジウムで、すだれは山出ししてから付けた印だという見解だったが、山中で付けていたことが解った・・・との話を思い出した。

Img_0580 (すだれ模様の石、刻印も入っている)

 目的に合う石を見つけると大きさ、形を描き矢穴をあけて割るのが段取りだろう。石の質が悪い物、形が崩れた物は運び出さない。当然失敗作も放置してある。重い石を運ぶのは「しゅら」というソリ状の物に載せ、港まで運び舟に積み替えて江戸に輸送したことになる。気が遠くなるような労力が払われていた大事業に恐れ入ってしまった。あきらかにしゅらの石曳き道が確認できる。

二番目の石丁場は、伊東と宇佐美の境目あたりである。山の斜面に辛うじて踏み分けた道を分け入る。途中、一昨年10月の22号台風の爪痕が今以て生々しい。幾度となく足を滑らせながら更に奥へ進むと、うねった石引の道であろうワインディングロード?には路側帯のように整然と平石が並んでいる。積み出す順番を待つ完成した石はおよそ180個にのぼるようだ。それらには○に・が入った蛇の目紋が刻印され、400年を経た今も江戸城を目指しているかのようだ。

Img_0587 (並べられた刻印石)

「IMG_0589.JPG」をダウンロード (蛇の目紋の刻印石)

 石曳き道は急角度に曲がりながらつくられている。教習場のクランクのようだ。急激な直線道だと「しゅら」のスピードが出すぎて、載せた石が飛び出してしまうのだそうで、クランク部でゆっくりと方向転換しながら下ろしていく方法だったようである。

Img_0591 (石曳き道)

 昼食をすませて三番目の目的地へ向かう。ここが一番きつい!急勾配のうねった登り道は、運動不足の私にはこたえる。途中には□に三が刻まれたものや田の印、○三つを一本棒で串刺しにした刻印石がある。炭焼きの跡もみられた。小一時間の登り道が突然に開けた。前方は宇佐美海岸・伊東湾が一望の絶景である。山側に目をやると、大感動が待っていた。縦1.8m、横2.5mの大石を二つに割ったその面の真ん中に「羽柴越中守石場」と刻まれている。細川家丁場の標石だった。

Img_0599 (見渡す絶景)

Img_0602 (標石と私)

 伊東にはおよそ54ヶ所の江戸城石丁場があるそうだ。徳川の命を受けた諸国の大名は、地域の名主級の者に丁場の管理をさせ、世襲の中で幕末まで続いていたと言われている。1600年、関ヶ原の戦いに勝利した家康は、江戸に幕府を開いた最初の事業が江戸城の新たな築城であった。その石材として適している安山岩の産地として相模湾に面した早川から伊豆までが石丁場としての活況を呈したと言うことである。

 文化庁の調査でも、国指定の史跡として太鼓判のようである。巷間耳にする地権の問題等もある中で、当局の文化的方向性と、整備と管理、いかに保全し、いかに活かすかの民意力がポイントかと思う。伊東だけのことではなく、広域的な協調や空気づくりが、日本の歴史・文化の一部を支えていくことになり、失せてしまえば江戸徳川の歴史の一部が空白になることと言える。

 風雲急を告げる歴史浪漫・・・貴方には、この道の先に何が見えますか?

Img_0605

 

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