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2006年8月15日 (火)

第60回按針祭「海の花火大会」

 毎年8/10は、伊東温泉の最大イベント「按針祭」である。今年は60回のメモリアルで、催しも多種多彩である。午後1時からの式典には、アメリカ・イギリス・オランダ・メキシコの大使や司令官が列席した。家康の命を受け、400年前の伊東大川河口の唐人川で、日本初の洋式帆船サン・ヴェナ・ベンツーラ号を建造したウィリアム・アダムスを顕彰したお祭りである。圧巻は、何と言っても「海の花火大会」だ!

Img_0790 (夜空を彩る大輪の花火)

 午後8時の号砲から、一時間の間に12000発の花火が間断なく打ち上がり、極彩に染まる天空が、地上の群衆をまぶしい程に照らし出す。人口75000の伊東市が、この一夜は245000人に膨れあがった。道を歩くのももどかしく人とぶつかってしまうほどだ。

Img_0788 (東海館の望楼から眺める花火と私)

 海に向かう道すがら、はたと思いついた。東海館の望楼から眺めよう!入館料200円を払って望楼に上がる。何と誰もいないではないか?閉館までの20分ほどだったが、レトロな心持ちで素敵な花火を観賞した。

2006年8月11日 (金)

青い目のサムライby伊東ミュージカル劇団

  8月820060930155336日、朝から気ぜわしい一日となった。按針祭60周年の記念事業の一環として、伊東ミュージカル劇団主幹の「青い目のサムライ・伊東版」公演である。出演は幼稚園生から60代のおじさん?まで約40名。大道具、裏方まで入れると60名を越える素人集団に、ウィリアム・アダムス役にオペラ歌手の岡戸淳氏を迎え、地域に根ざした歴史文化をオリジナルの脚本・楽曲で表現したものである。

(自作のイラストによるポスター)

Img_0766 (ヘア・メイクに大わらわの楽屋風景)

 午後6時半の開演までに二回のリハーサルを行う。緊張に表情も硬くなっている者もいるが、時を追うごとに顔が柔らかくなっていく。折しも、外は台風である。縁の下で動いてきた自分にとっては客入りが気になるところだ。雨台風の進路が東に動いた。伊東観光会館を直撃しそうな雲行きになる。雨脚も増し、不安が増幅するが、団員達の日頃の精進にめんじて神様のお力を戴きたい思いである。灯籠流しと夢花火は中止となる。

20060810220039 (翌日の伊豆新聞)「2006-08-10-2200-39.jpg」をダウンロード

 500人を優に超える観衆に熱気が熱い。みんなの努力、頑張りが報われた瞬間だった。緞帳が降りると万雷の拍手に、再度のカーテンコールである。この時、この感激が次への意志をかき立てるのだ。沢山の後援者、協賛商社の皆さんに支えられてステージに立てる喜びに感謝を持って、ステップアップして欲しいと思う。次の公演に乞う御期待!!

 

2006年8月 5日 (土)

松原御船歌保存会親睦会

 松原秋期例祭は例年10月14日・15日である。この歴史ある神事は、財産区会・氏子総代会・連合町内会・消防団・松原御船歌保存会等が、総力を挙げる相互連携によってこそ滞りなく執行されることになる。ここ松原海岸において、御船歌保存会の肝いりで、昨年に続く親睦バーベキュー会が行われた。

Img_0746 (歓談する参加者)

 乾杯の発声の後、御船歌師をはじめとする保存会員と心得のある参加者とが一つになり、海神を始めとする八百万の神々に、人々の安全と観光伊東の隆盛を祈念して、御船歌「船ぞろい」が奉納された。

Img_0749 (奉納している皆さん)

 アゲ歌(座っている4人)を囲んでガワ歌がもり立てる。アゲ歌は、地面に声をぶつけ、反射させる為に下を向いて歌う事が常なのだ。

Img_0753 (アゲ歌の皆さん)

 奉納した「船ぞろい」の解説をしてみよう。溯ること5百有余年、明応二年のことである。伊豆半島を配下に治めた伊勢新九郎こと、後の北條早雲は、更に伊豆諸島の制圧をもくろみ、激しい黒潮の波打ち付ける灘に船を進めました。海流乱れる難所、黒瀬川を乗り切った四十八艘の戦船の勢揃いに、立ち込める雲の狭間から閃光となった旭日が照らし出す様は、後北條の守護、伊勢天照大神が降臨するが如くの威容を誇り、水軍の勝ち戦は、伊豆全島を支配するに至りました。まさに「船ぞろい」は、北條軍団の難航と船戦の語り部として詠い継がれた御船歌なのです。

2006年8月 4日 (金)

山形視察

 伊東市議会議員24名の内、5名が「正風クラブ」である。今回の個人視察は、会派5名揃って山形へ向かった。最初は尾花沢で職員二名による花笠音頭で歓迎された。伊東市でも「伊東花笠おどり」として定着したイベントがある。二日間でおよそ3千人がメインストリートを踊り歩く!それにしても、尾花沢の市職員は踊りも大事な仕事の一つなのだ。

Img_0722 (歓迎の花笠踊り)

 いよいよ目的の銀山温泉へ案内してもらう。街中から道をねり、次第に山の懐に入る。眼下に見える渓流に下りると、川の両側に懐古的な旅館群が視界を占領する。銀山川のせせらぎと相俟って大正期の木造旅館が異空間を創り上げる。3本の源泉を集約して各旅館に配湯しているそうだ。電線地中化工事の際には、蓑傘・腰蓑姿の工事人にマスコミの取材が殺到したそうだ。建物全体は文化財指定されていないようだが、貴重な意匠を部分として登録しているそうだ。建築景観の保全策として、外観の改修に300万円までの補助をしているとのことだった。

Img_0723 (銀山温泉の景観)

 ポスターで見た雪深い銀山の家並み景観が美しかった。白日の下にさらされた大正期の建物は、建っていることが辛そうである。修復には大変な私財を投入することになる。伊東で言えば、東海館を廃業するときに市指定文化財として残したことである。現状保全管理に莫大な費用がかかる訳で、市に寄付をした経緯がある。とても個人の手に負えない現状では、一つ、また一つと新しい旅館に替わっていくのだろう。せめて此所だからこその景観にマッチした建物にして欲しいと思った。20年、30年前に行政の力で、建築文化の保全を施策化できたなら、永い目で地域の活性に寄与できるだろうと感じた。

Img_0725 (大正浪漫を背景にスナップ)

 宿に落ち着き、夕食も地場の食材とともに、ご飯のおいしさが印象的だった。すっかり暮れた窓外の景色がライトアップで幻想の世界を創りあげる。せせらぐ銀山川を覆うように、様々な樹々の形状・緑の明度差・葉の彩りが、風のそよぎに舞い揺れる。まるで海の中にいるような錯覚に陥る程のなめらかな動きである。なによりの「ごちそう」を戴いて眠りについた。

Img_0731 (たわわに実る佐藤錦)

 東根はサクランボの里だ。佐藤錦の発祥地である。「サクランボ種飛ばし大会」は、とてもバカバカしいイベントだが、馬鹿げたことを真面目にやると面白いイベントになるのだ。東京、仙台と大会を行い、本拠地で本大会となる。千人以上の人達が、舌ベラを丸めて種を遠くに飛ばし合うイベントは楽しい!ギネス公認も視野にあるようだ。

Img_0735 (選別、箱詰め作業中のスタッフ)

 農園に入って種飛ばしをしてみた。とてもよく飛んだ。随分昔のことだが、山梨のぶどう園で店のスタッフ達と種飛ばし大会をやったことがある。当然のことだが一番遠くに飛ばしたのは私だった。実は舌ベラを丸くする極意は、その時に体得していたのだ。それにしても佐藤錦は甘い!まるで砂糖錦のようだった。

 翌日は米沢に入った。ボランティアガイドの実際を確認させていただいた。既に11年も市民参画の貢献事業として継続しているのだ。

Img_0739 (説明をする「おしょうしなガイド」さん)

 「おしょうしな」とは、ありがとうのことでした。丁寧に郷土の歴史・文化の変遷を解説してくれた。市議の視察・・・との意識が緊張させたのか、少々堅苦しい感じもしたが、地場の産品まで説明の中に取り込んでいたことは感心した。ここの組織も高齢化が問題点の一つである。若い人は参加意識が薄いようで後継者が育たない現状である。いずこも同じで、金太郎飴のように何処を切っても同じ顔の連続なのだ。しかし、旅の徒然に親切な案内を頂けることは、心のスナップ写真になるはずだ。嬉しい思い出になる。7月に立ち上がった伊東自然歴史案内人会の実地研修も始まった。感動を得るも人、与えるも人である。

Img_0740 (上杉鷹山像の前で)

 上杉鷹山は米沢藩9代藩主で、幕府に領地返上寸前の藩の再生を行った名君だったそうです。「成せばなる 成さねばならぬ何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」と教えてくださったご本人でありました。今で言えば、財政再建団体になった夕張市のようなもので、北海道に鷹山先生の再来を願う思いです。一方、我が伊東市は、市長の積極的な行財政改革のリードで、伊東再生をスローガンに先行きの明るさを見つけ出しています。正風クラブは、一丸となって支えのスクラムを組んでいるところである。

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