10/27~29の日程で、我々正風・興志会は長崎市と島原市の視察を行った。伊東を朝6時44分に出発して長崎空港へ着いたのは11時半だった。古そうで大きくない飛行機は、心許なく心配したのだが、機上の人となるからには覚悟を決めて(ちょっと大げさ?)の搭乗である。昼食後、長崎市役所に向かい、およそ2時間の研修とQ&Aを行い、その後全国に有名な田上富久市長を表敬した。柔和でいて実行力に溢れた若き市長に面識を得たことは有意義であった。その後、先方事務局の案内による市内視察となった。
今回のテーマは、長崎「さるく」の仕組み、取り組み、ボランティアガイドの見聞である。
長崎原爆資料館・原爆落下中心地・平和公園と案内いただいた。目の当たりに見上げる平和祈念像は、世界に向かって核の廃絶と人類の平和を力強く投げかけていた。地元長崎の巨匠・北村西望に触れた事は大きな感動である。ダイナミックの反対側にある繊細さときめ細やかな表情を伝える「喜ぶ少女」が大好きである。私は、そのレプリカを大事にしている。
「さるく」とはブラブラ歩くと言う長崎弁なのだそうだ。さるくガイドは約500人の登録があり、実働は150人から200人と言う。昨年のさるくガイドツアー参加は20000人を越えた。参加費用は500円、ガイドへは交通費として1000円を支払う仕組みだ。1グループは15人が定員だが、配信した日程への参加者が0人でもガイド料1000円は支給するのだそうだ。運営は、国際観光コンベンション協会であり、市職の出向局長と2名のスタッフで切り盛りしている。年間予算は3500万円で、その内2000万円が市の補助金である。不足の1500万円はガイド料・冊子販売などでまかなうのだが、商売感覚を問われることになる。今年8月から、全国公募によって採用した民間局長の手腕に期待をするところである。御案内いただいた長崎市議会事務局の皆様には心から御礼を申し上げます。
私は、夕食までの少しの時間を市街地散策としゃれ込んだ。路面電車の走る光景がレトロ感を引き立たせる。何処まで乗っても1乗車100円なので、県営バスも初乗り料金を140円に抑えているそうだ。たまに訪れるオランダ・アムステルダムのトラムは2両編成で市街地の足となっているが、ここは懐古的な風情がある。アーケードに入ると大きな垂れ幕が下がっていた。県産品愛用運動のキャンペーンだった。方言が新鮮である。小洒落たお店も多く、あっという間に時間が過ぎる。
10/28(火)8時半、路面電車(一日券500円)で西浜町から大浦天守堂下まで行った。9時に「さるく」ガイドさんとの待ち合わせなのだ。
挨拶では、一時間のガイドでは伝えきれないと残念そうに言っていた。事前に伊東市の市議会議員の面々と聞いていたことでびびっていたらしいが、ガイド力は大したものだ。正規のルートとは違うオリジナルコースの設定をしてくれたようだ。
途中、ユニークな看板を見つけた。異文化の歴史は、住まう人々に発想の転換を与えたのだろうか?グラバースカイロードに乗ると頂上にはグラバー園である。時間が無く園内には入らず終いだったが、南山手レストハウスで思いがけない出会いとなった。吉田初三郎の観光鳥瞰図である。長崎から東京までを繋いだ超ワイド作だった。初三郎さんは、我が伊東市の鳥瞰図も描いているのだ。
レストハウスからの眺望を前にして祈念坂を下ると路面工事に出会った。歴史を刻んだ修景工事は復元という責務を負うのだ。一枚一枚の平石に番号をふって元の位置に戻さなければならない。大変だ!ご苦労様!今度は、風変わりな風景に出会った。神社とお寺と教会が混在する三角ポイントだ。他宗教を否定するのではなく、協調と調和の中で町を創ってきたグローバルな歴史観なのかも知れない。
金ぴかの本堂で説経中の和尚様を横に見て路地を抜けると大浦天主堂の真ん前に出た。見渡すと幾つものグループが「さるく」ガイドの案内を受けている。修学旅行の学生も大きな観光誘客対象である。また、興味津々のミドル&シニアのおばさん(失礼!)とともに、若い女性グループも目立っていた。長崎は幅広い人々に支持される歴史と文化が際立っている。「長崎さるく」の豊富なメニューは、さるくガイドの生き甲斐になっているようだ。プランづくりから実践までの関わりは生涯学習と健康づくりとした市民参画の実のある施策と感じた。
長崎市の人口は約45万人、昨年度の観光客数は約564万人、宿泊客数は約252万人である。
長崎を後にしてジャンボタクシーで島原市に向かった。途中の道路面がブルーに染められていることに気がついた。よく見ると、粗めのアスファルトに染料を溶かし込んだ感じがした。遠景に海の青、天上に空の青をつなぐ地上路の青は、見習えるアイディアだ。我が伊東市の海岸線をオーシャンブルーに染めたらどうだろう!!熱海との境から東伊豆町の境までの青い海岸道路が伊東市であることのメッセージになる。上空からの鳥瞰的視点も伊東市のアイデンティティとして位置付くのでは・・・と考えた。
島原市でのテーマは、噴火からの復興の取り組みとまちづくり、街並みや景観を活かした観光施策についてである。13時過ぎから島原市役所で研修を行った。昨年伊東市を訪れた職員もあったり、木下杢太郎が訪れた(五足の靴)との因縁など多岐にわたる意見交換が有意義な時間を経過させたと感じるものだった。
研修が終わり、フィールドワークとなる。先ずは島原城である。石垣だけの城趾を復元した美しいお城である。城下町としてのまちづくりは、規則正しい路の在り方で区画されている。まちづくりで成功している事例は、その殆どが城下町であり門前町であると言っていいと思う。求心力を持つ中心と、それを支える取り巻きと住民の遠心力が交差して歴史や文化が創られたと言える。島原の有形無形の潜在観光資源が、その眠りから覚まされて行くのだろうと・・・懐の深さを感じた。
武家屋敷の佇まいと周辺景観は素晴らしく興味深いものがある。11月に封切りとなる映画「まぼろしの邪馬台国」は、此処で撮影された。石塀と石塀を隔てる一本の道、その中央をこうこうと水を運ぶ小さな川が、有るがままの草花に囲まれて息吹いている。屋敷の屋根瓦、欄間板、手水鉢がかっての生活感を漂わせる。眼を閉じると、吉永小百合が台所に、竹中直人が座敷膳の前に座っている光景が浮かんでくる。街並み整備事業は、7つの地域で結ばれた街づくり協定が基盤となる。湧水を生かしたまちづくり、島原城との調和した景観づくり、鯉の泳ぐまち等にその成果が見えた。
ここは、時計の針がゆっくりと動いているような錯覚を覚えさせる。民間資産の景観改修は、官民の心地良い協働の中でしか成し得ない訳で、点在するそれぞれのポイントが連携することでコンパクトなノスタルジックシティになる。これは、歴史と文化のテーマパークなのだ。
10/29(水)今日は火山に関する緒テーマである。島原議会事務局調査係長の菅氏が案内役を務めてくれた。先ずは火山体験学習施設/がまだすドームだ。1990年11月に始まった平成噴火から1996年6月の噴火終息宣言までの道筋が、このドームに集積されている。
がまだすドーム駐車場から見た平成新山の景観である。館内に入り驚いた。様々な展示物の中に大室山が紹介されていたのだ。現在、火山の記念物文化財の国指定は、北海道の昭和新山と此処島原の平成新山である。実は、3番目の国指定候補が伊東市の大室山なのだ。既に文化庁の調査もあり、地元の合意を待つばかり(・・・と私は信じている)だ。私は2度ほど一般質問で取り上げ、市の意向を確かめているのだ。
次ぎに、眉山を廻って平成新山ネイチャーセンターを訪ねた。環境省が緑のダイヤモンド計画の一環として建設、開館した総工費10億5千万円の施設である。噴火後の自然環境の調査研究が主な使命であり、環境省の外郭団体である自然公園財団雲仙支部が管理運営をしている。数カ所のシェルターが設置され、メイン施設には500度の火砕流に耐えるシャッターも設置されていた。
菅さんには結局、島原駅まで送っていただいた。2日間にわたる島原市の行政視察にご配慮くださったことに心から感謝したいと思う。島原の子守歌のブロンズ像から見渡す先に島原城が位置していた。駅を取り巻く諸設備の意匠が島原城の景観とマッチしていることが、求心拠点への配慮であり、行政施策の現れと感じた。
島原鉄道で諫早に向かう。ローカルの一両電車は、外も中も「まぼろしの邪馬台国」でラッピングしてある。盲目の作家宮崎康平氏は島原鉄道の社長で、郷土史研究家でもあった。邪馬台国への浪漫が研究と執筆に駆り立てたに違いない。
島原市の人口約5万人、平成19年度来遊客約136万人、宿泊客約21万人
過ぎ去り行くレール。
未来に走り行くレール・・・の後先に思いを馳せながら諫早に向かった。
そこからはバスで長崎空港を目指す。フライトは15時20分のJAL1850便で機上の人となる。
今回の個人(会派)視察は正風・興志会4名
平成新山を背景の記念写真である。
あらためて伊東市の観光実績の大きさを感じた反面、足りない頑張りを感じた視察だった。およそ900万人のピークを誇った来遊客数も、現状約700万人とは言え、人口6.6倍の長崎市よりも156万人も多い来遊客、人口10分の6の島原市よりも564万人も多いお客様の実体を見るに付け、神奈川・東京・関東の市場性の豊かさに胡座(あぐら)をかいてきたのではないか?もっと誇れる素材の活用や人づくりへの反省を行政経営に活かすべきではないか?と考えさせられた。
トルコライス・長崎天ぷら・具雑煮・長崎チャンポンなどその地その地の食も体験した2泊3日は、議会事務局小川職員の随行によって充実の終了を迎えることができた。感謝!!
伊東駅着19時21分・・・。
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