2009年11月 8日 (日)

国文祭河津町事業「フランス民俗舞踊と伊豆の伝統芸能の祭典」

 11/1(日)松原御船歌保存会メンバーと関係者20余名が河津町の国文祭事業に出演した。「フランス民俗舞踊と伊豆の伝統芸能の祭典」に御船歌「初春」と「船ぞろい」を奉納するためである。

Img_3239 Img_3234 会場のバガテル公園オランジェリー会場は入りきれない程の大盛況である。この催事に合わせて公園の入場料を無料にしたから尚更である。フランス舞踊団の後、伊豆の伝統芸能出演のトップバッターである松原御船歌は、日頃の成果とこの日の為の演出に磨きをかけて望んだ。

Img_3235 Img_3236 神職とナレーターを同行願った演出は、御船歌の歴史的背景と今日までの道程、そして松原八幡神社秋季例祭への関わりとお役目、更には次代への橋渡しの責務を厳かな神事に厳粛さを増していく。ご来場すべての皆様の邪気を祓い、長寿福徳を祈願して御船歌の奉納へと進む。

 「初春」と「船ぞろい」は、重厚な歌声が抑揚在る旋律にのって会場一杯に響き渡った。浮貝会員制作による「八幡丸」が中央にデンと控え、スポットに照らし出される荘厳さは、北條水軍戦勝の証のようである。立派な仕事に伝統の意味を改めて感じるものだった。

2009年10月27日 (火)

伊東豊楽踊り

 第7回「伊東・豊楽踊り」を観賞させていただいた。昨年に続いて2度目の芸者の艶姿を目の当たりに大いに感動をした。昨年お披露目の芸妓さんもすっかり腕を上げて落ち着いた舞台だった。

Img_3207 Photo Img_3208 舞台も新装したそうで、支援者の材木商の旦那さんが感謝状を観光会長から受け取られた。演目も趣向が凝らされ、「お座敷にわかの賑わい」では料亭の座敷裏の風景描写や男女の逢瀬、そして華やかな舞いと興味深いものであった。このような趣は観光の大きな資源でもある。もっと周知を心掛け、芸者文化の発表の場を公がつくってもいいのでは・・・と思った。温泉文化の象徴なのだから・・・。

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2009年10月21日 (水)

御船歌と国文祭

10/19(月)静岡国文祭河津町事業「フランス舞踊と伊豆の伝統芸能」関係者と我々松原御船歌保存会の最終打ち合わせを実施した。

Img_3159 Img_3161 我が会で準備した進行台本に基づいて構成、MC、小道具、時間等の確認をした。今回は特別に御船歌の臨場感を強調するために和船を制作した。浮貝会員の力作は杉板の板目を活かした立派なものだった。この後ろに、上げ歌を側歌が囲み伝統の歌絵巻を紐解くことになる。

 本番は11/1(日)午後1時半からである。バガテル公園に歴史の旋律が流れる。

2009年10月17日 (土)

伊東松原八幡神社秋季例祭

10/14(水)夕祭・15(木)本祭りとなる八幡神社の例祭が執り行われた。好天に恵まれたことが何よりの御加護御利益である。

Img_3080 Img_3090 本祭りは、御仮屋から御輿が発御し町を錬る。竜宮神社に休めて昼食だ。輿の着御・発御の度に御船歌の朗唱が伴うことがしきたりである。揃いの着物&袢纏に身を包んだ松原御船歌保存会の勇姿を記念に納めた。此処の発御の歌は「船ぞろい」である。松原御船歌の中で唯一「北條早雲」という人物を歌っている。

Img_3088Img_3093 Img_3102 恒例の海上渡御に際して祝詞があげられる。32人の白装束が後ろ向きに海に入っていく。およそ1トンの京御輿は、優しそうな風袋とは裏腹に、ズシリと肩に響く圧力が神の重さなのであろう。

Img_3098 Img_3113 沖に流される御輿をロープを持った若者が繋ぎに泳ぐ!そして陸に納める。この繰り返しを奇数回行うのが通例である。若者達の肩は破れ、鮮血かにじんでくる。

 湯川と松原の町境で両町の御輿同士のパフォーマンスがあるのだが、今年は警察の管理が殊の外厳しいようだ。結局、松原のみが御輿を回して神社に上った。

 神様が社殿の奥、扉の暗がりにお隠れになって秋季例祭の幕が下りた。

Img_3077 Img_3120 夜は、湯端町のお祭りだ。昭和20年代に制作された船型の山車「湯端丸」もまた見事である。彫刻師初代森田東光の彫りが冴え、夜の闇にことさら映えている。湯端町は子供達の踊りも人気の一つだ。今年は9人の踊り手が揃った。可愛い踊りに沿道から拍手が湧く!

1年が早い。驚くほど早い。同じスピードで子供達や係わる人の手が少なくなっている。考え時だ・・・とつくづく思った。地域の伝統文化は地域だけでは、もう守りきれない状況になっている。学区、行政区を越えた所で総力を結集する必要がありそうだ。考えよう!!

2009年10月14日 (水)

秋祭り

10/13(火)昨日は店の休日と体育の日が重なり、役所も休みで久し振りの庭掃除に明け暮れた。9時に墓参を済ませ、実家に寄ってつかの間の母子の対話、東海館へエコキャップを改修に立ち寄って帰宅したのが10時、それから一日中の庭掃除で体がピークに達したらしい!朝から咳が出て体がだるい!病院にいくと新インフルエンザではないとの説明にホッとして10時からお祭りの準備に入った。

Img_3065 Img_3066 およそ20人の参加役員の平均年齢の高さに今後の不安を覚えながら、神酒所と山車の体裁が整っていく。去年のように記憶を辿りながら仕事を進めるのだが、昨日の事も忘れてしまう我々には一年前の事など詳細には覚えていられない。実は毎年のことなのだ。ああだ!こうだ!の意見交換の中、立派に完成した。これで万全!後はお天気だけだ!

2009年10月11日 (日)

松原八幡神社祭典奉仕団結成奉告祭

 10/10(土)19時半から松原八幡神社へ上った。14日・15日の秋季例祭へ向かって、祭典奉仕団結成奉告祭のためである。区長始め氏子、町内会、消防団等に御船歌保存会が加わり、社殿から溢れる程盛大だった。

Img_3062 Img_3061 どーん、どーんと大太鼓の合図で身が引き締まる。次第に従って神事が執り行われた。祝詞、玉串奉奠とすすみ、御籤取式と佳境に入る。祭典奉仕団員の誰が御輿のどこを担ぐのか?何の任を授かるのか?を決める儀式である。部所が書かれた紙縒を先輩諸氏と奉仕団員が1本づつ引いた。

Img_3057 Img_3059 私の引いた紙縒には「無病息災」と書いてある。大きく読み上げると「はいっ」と手が挙がる。「おめでとう」と声を掛けた。紐解けば、担ぎ手が余る程の時代は、担ぎ手に当選することが名誉だったのだ。だから有り難い「おめでとう」である。時は移り、今は担ぎ手や列をつくる人集めに大きな労力を使う程である。しかし、「形」という伝統を繋いでいくことが大事なことと思う。地域の鎮守のお祭りは、町全体、市全体で支え合い補って継承していく事がすべきことと思っている。その方法を近いうちに提案をしたい。

2009年7月19日 (日)

玖須美の夏祭りと城星祭り

Img_2280 Img_2282  7/18(土)・19(日)玖須美恒例の夏祭りが行われた。一週間前に天照皇大神社で神事が執り行われ、今日・明日が山車の引き回しである。同じ玖須美区でも新興住宅地の元和田では城星町が独自のお祭りを開催している。

 この地区にある小・中学校の生徒数は市内でも多く、当然世帯も増加している。子供達に伝統のお祭りを味合わせたい親心からのご尽力が今日まで継続しているものと敬意と感謝を申し上げる。大汗をかきかき、焼き鳥や焼きそばができあがる。これを摘みに、夏の夜長はビールにかぎる。

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2009年7月18日 (土)

第7回和田の湯江戸献上

 7/18(土)8時半から和田の大湯を江戸城に献上する湯汲み式と出港式が行われた。献上湯イベントとして玖須美文化振興会と献上湯実行委員会にヨットマンが協力して行われる今事業も7回を数えた。Img_2235 Img_2236_2 Img_2237 Img_2242

温泉の神「湯尾権現」と水神様の前で神事を執り行い、玄関前の寿老人の湯口から一斗樽に200リットルを詰め込んで、地域の子供達と港まで行列を組んだ。Img_2252 Img_2259 Img_2268 Img_2271

港には3艇のヨット、そして市長が待っていた。実行委員会の森委員長へ市長親書が手渡されると主役「和田の湯」がヨットに積み込まれた。先ずは三浦に向かって出港である。夜が明けて佃島を目指し、住吉神社に奉納する。温泉は近隣の福祉施設のお風呂となって身と心をほぐすことになる。

 そもそもは、病がちだった3代将軍徳川家光公への献上湯とされ、慶安4年(1650年)に和田村から江戸城に運んだことがルーツとなっている。

2009年7月12日 (日)

祐親祭りの写真

 5/31(日)に開催の伊東の祖・伊東祐親を顕彰する「祐親まつり」水上舞台で松原御船歌保存会が奉納した「初春」と「船ぞろい」の写真がやっと手元に届いた。Img_new

 私が出演しているために、写真が撮れないのだ。様々な市民活動に携わっているが、自身が写っている写真は頼まない限り手元にはないのが普通である。この舞台に合わせてお揃いの着物と帯を新調した。保存会全員の心まで揃った気がした。今年は、10月14日・15日の松原八幡神社秋季例祭と11月の河津町国文祭舞台と発表の場が続いている。やり甲斐がある。

2009年7月 7日 (火)

御船歌・伊東サミット

 7/5(日)午後7時半から湯川・川奈を松原が迎えた御船歌・伊東サミットを開催した。Img_2162 Img_2168 Img_2170

 松原御船歌保存会菊間会長の開催挨拶から主催である松原から「初春」を朗唱した。続いて川奈小浦町お舟唄保存会が「たかさご」・「たびのとのさま」を朗唱し、最後に湯川鹿島神社御船歌保存会が「初春」を朗唱した。同じ歌詞でも旋律や抑揚、雰囲気が違うのだ。隣同士の町内なのに不思議である。お祭り・御輿・御船歌はどれが欠けても成り立たない地域文化の運命共同体である。地域が地域と連携し、協調し合い、刺激し合い、切磋琢磨することで地域コミュニティの活性に繋がり、地域の集合体である伊東市の活性に導かれるのだと思う。ひとり一人の地元大好き!伊東大好き!が大切だと言いたい。

2009年7月 1日 (水)

松原八幡神社夏越の大祓式

6/30(火)午後3時から松原八幡神社恒例の夏越の大祓式が行われた。氏子会、区会、町内会、市議に大勢の崇拝者と御船歌保存会が参集した。

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一年の半分が過ぎて、身に心に背負った災いを祓って後の半年を大過なく過ごすための儀式なのだ。勿論もう一方で、うっとうしい梅雨時と暑くなる夏への健康を祈願することも大きなお願い事である。輪をくぐり礼拝し、祝詞を頂いて玉串を奉奠した。そして、御船歌「初春」を奉納して恙なく式典を終了した。故事に習うことで先進した文明に隠れてしまった生活の注意点や四季一年の自然との関わりなどを改めて考えさせてくれる。地域で守るべきことは多い!

2009年5月27日 (水)

伊東松原御船歌保存会稽古

5/25(月)御船歌定例稽古の今日は、5/31奉納する祐親祭り水上舞台の想定稽古だ。先ずは新調した揃いの着物の着付けと帯結びの研修をした。JAの伝統文化支援補助を20万円頂戴して揃いの式服とさせていただいた。これで全員の志気も高まり、更なる無形文化の保存会活動に拍車がかかること受け合いである。

20090527180740 祐親祭りでの奉納は「初春」と「船ぞろい」の2曲である。タイムを計りながらの稽古は本番を意識したもので緊張感も高まっていく。祐親の後、今年は、松原八幡神社秋季例祭に続いて河津での静岡国文祭の舞台も待っている。充実した年になる。

2009年1月14日 (水)

どんど焼き

1/12(月)10時から松原海岸で恒例の「どんど焼き」が行われた。仲町青年部が執行者となって様々な準備や取り持ちに尽力くださるので大変感謝をしている。女性陣も温かいみそ汁や干物を焼いて振る舞いに大忙しだ。Img_1395 Img_1396 Img_1398

 沢山の正月のお飾りでおんべが天高く積み上げられている。この年の穏やかなること、人々の健やかなること、商売の繁盛なることを願って点火された。

Img_1400  松原御船歌「初春」の調べが大海原に響き渡る。燃え上がる炎が一切の邪気を焼き払ってくれるようだ。今まで落ちていた雨粒が、にわかに消えていく!百年に一度と言われる不況の嵐を蹴散らすように炎が舞い上がる様は、先行きの希望を天に送り届けているようだ。50年前の狩野川台風や20年前の松原大火の災害から街を起こした活力は、ゼロいやマイナスからの復興力を住民が表し繁栄に至らしめた結果である。今、この困難から復興へ向かう節目が平成21年に与えられた使命だと思った。頑張るぞ!!

2009年1月 8日 (木)

元旦祭

1/1(木)松原八幡神社の除夜祭、越年式の一切が滞りなく済んでからが大忙しだ。松原御船歌保存会の一員として600名の皆さんに御神酒を配った。焼きそば・ひもの焼き・お汁粉の振る舞いには、初詣の方々およそ1000人が訪れただろう。片付けが終わり家に戻ったのは午前3時だった。一眠りして8時にお墓参りをし、実家の母に新年の挨拶を済ませて伊東に戻った。

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 余りに穏やかなお正月は、海の色・空の色の美しさに見とれてしまった。100年に一度の不況の嵐とは余りの裏腹に、これからの日々を心配してしまう。自分がすべきことは、一つひとつの課題を着実に成果に導く言葉と行動を示すことだ。清々しい伊東港を見ながら心新たにした。

 10時からは松原八幡神社、13時からは出来湯権現そして14時からは玖須美天照皇大神社と三つの元旦祭に出席し、健康と繁栄を祈願した。

 明日からソウルに向かう。今夜は東京でスタンバイとなる。

2008年12月 4日 (木)

松原八幡神社越年祭支度

 12/3(水)松原八幡神社越年祭の支度をした。同神社では、毎年12月31日に除夜祭と元旦にかけて越年祭、初詣をおこなう。これらを仕切るのが松原御船歌保存会で、御焚き上げの丸太組み用の丸太を調達に吉田区有栗の木平へ出向いた。

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 ここ栗の木平は、財団法人静岡県グリーンバンクの補助事業として檜の間伐を実施している。予てから市産業課に伐採木使用の了解を取っておいたことで、御船歌保存会メンバー5名で切り出して搬出した。越年祭に向かって、先ずは一つの準備が整った。 

2008年11月15日 (土)

第16回やんもの里文化祭

 11/13(木)18時から八幡野コミセンへ行った。この行政区の指針として、地域の自然、歴史文化と人間力の掘り起こしに大きな力を注いでいるものと認識している。今回は文化祭の一環として「八幡宮来宮神社について」と銘打った講演会を聞くために出向いた。

20081115101453 金子講師の講話によると、八幡宮来宮神社は、2体の御魂を祀る2間社流造の特異な建築形式なのだ。本殿に向かって右に八幡宮、左に来宮を祀っている。昭和9年にその社叢が国指定の天然記念物に指定され、本殿、渡殿及び拝殿は平成11年に県指定文化財に指定されている。

 本殿は寛政7年(1795)の建築と言われるが、最初は浜の方に祀られていたものの2度に渡り転居し今の場所に到ったそうだ。岡の若者が造り奉納した石灯籠や、浜の若者が造成した階段などをみると、浜と岡と分かれていた部落が神社を合一することで、対島の地域を一つに融合したのではないか?と思えた。まさに町村合併であり、浜・岡それぞれの自我や損得を超越したコンセンサスを「神様」がつないだのではないか?と感じた。

 200余年の時空を経て、浜と岡は、八幡野と伊豆高原に線引きが有るような無いような・・・今の世に、何が人の心を繋ぐのか?大きな課題である。金子氏曰く、神社は様々な部落の政(まつりごと)を話し合って来た「場所」だった・・・に同感した。今風に言えばコミュニティの拠点として、ここから文化の発信をすることである。皆で社の掃除をし、語り合い、お祭りをし、お参りをして万物への感謝を拝礼に託すことと思い当たった。

2008年11月12日 (水)

「東海館」と「山喜」と「くらしのみちゾーン」

 11/12(水)東海館「橘の間」の修復が気になり写真を撮りに行った。

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 付け書院の意匠に目を奪われた。障子の桟は直線のみで、下になる程にその間隔を狭めたシンプルなデザインがあか抜けている。欄間の曲線とのコントラストが美しい。天井の竿縁は竹を模したデザインで、落ち着いた風情がある。また一つ見せ場が増えた。

Img_0934  東海館みがき隊の皆さんへ毎回お送りしている「東海館浪漫日記」のスケッチに悩んでいる。平成14年10月から描き始めた東海館のスケッチも、旅館いな葉を書き足しながら73回目が済んだところである。同じモチーフを続ける辛さは、描く所が無くなることである。そうだ、「山喜」旅館を描こうと思いつき、早速撮影に行った。東海館浪漫日記その74は、山喜になった。今、描き始めたところだ。

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 東海館の前で工事が始まった。国交省の「くらしのみちゾーン」に登録された交通の安全と地域のコミュニティを創出する事業である。20年度は松川通りの電線類地中化で来年2月下旬を工期としている。沿道住民や事業者、訪れる観光客や通行者の方々に極力迷惑や負担が係らないよう要請してある。次は路面修景や街路灯の設置に入る予定だ。天を見上げても青色の空と白い雲を分断する黒い線(電線)は無くなる。楽しみである。 

2008年11月11日 (火)

音無神社尻つみ祭り

 伊東温泉恒例の奇祭「尻つみ祭り」が音無神社で行われた。会場には例年の事ながら子供からご老人まで幅広い市民と観光客が集まっている。

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 このお祭りは、暗闇の中、祭事に参加した氏子達が酒瓶を回し御神酒を呑む際に、次の人への合図としてお尻を摘んだことから今に伝わっているようだ。ここは、安産の神として崇められていることから、穴の空いた柄杓が沢山奉納されている。「通りがいい」事の証としているのが楽しい。また、大川に沿うこの神社で頼朝と八重姫が逢瀬を重ねた場所としても知られている。

 芸者さん、観光客、市民、みかりん、ゴリラの尻相撲は、大いに盛り上がった。

2008年11月 4日 (火)

第47回伊東市芸術祭

11/3(月)伊東市観光会館で第47回伊東市芸術祭「郷土芸能祭」が開催された。Img_0740 Img_0746

開催に先がけて郷土伝統芸能にご尽力された方々に伊東市無形文化財保存協会石井会長より表彰が行われた。私たち松原御船歌保存会からも菊間会長と河原崎会員が永年の保存活動への貢献として表彰を受けた。Img_0747 Img_0751 Img_0756

 その後、富戸下方保存会のしゃぎり、宇佐美八幡鹿島踊保存会の発表があった。毎年思うのだが、この芸能祭への反応、評価は少なく、頭を悩ませている。地域の伝統文化として地域で守っていくことが大切だと思う。伊東大好き人間教育は、幼児期からの郷土文化へのふれあいを奨励すべきだ。伊東の基幹産業、観光も郷土のアイデンティティが勝負になっている。

2008年10月30日 (木)

伊東旧見番第6回豊楽踊り

10/26(日)伊東旧見番の第6回伊東豊楽踊りが開催された。

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 伊東には幾つかの芸者見番があるが、お店で言えば、旧見番は老舗と位置付くのだろう。横田理事長を先頭に、伊東温泉の芸妓文化を支えている。日々のお稽古で積み重ねた成果を、実りの秋の豊穣に照らしてご披露する、この時節の伝統であろうと推察している。

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 芸者衆の顔見せから、配られた「伊東小唄」が披露された。この日の為に振り付けされ、艶やかに舞われたこの歌は、北原白秋作詞、町田嘉章作詞の大したものなのだ。

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 長唄、いろどりの舞、総踊りの2時間は、自分にとっての未体験ゾーンに足を踏み入れた異空間となった。観光の方々が、伊東のお座敷文化をもっと気軽に体感できたら楽しいと思う。そんな場所づくりが私たちの使命でもある。

 伺い聞くところでは、芸者の起源を辿ると巫女に行きあたるそうだ。天の岩戸を舞い開いた「アメノウズメノミコト」にも通ずるのかもしれない。平安時代は白拍子、源義経の恋人「静御前」もそうだったそうである。江戸時代には出雲の阿国が登場する。また、江戸吉原では、芸妓は娼妓と区別され、歌や踊り、三味線など歌舞音曲と巧みな話術で座を盛り上げる大切な職業であったそうだ。幕末から明治になると政治の陰の部分にその器量を発揮し、口の硬い信用できる接待役としての責務も担ったようだ。時代を動かした重要人物の奥様になった芸妓も少なくはなかったと言う。

 いずれにしても、伊東温泉の観光文化の担い手として、日々のお稽古に励んで欲しいと思う。私は改めて、市民一人一人の役割が有ることを自分自身に言い聞かせたい。 

2008年10月18日 (土)

松原湯端町秋祭り

 10/14(火)&15(水)松原八幡神社例大祭は、松原区・湯川区各町内が山車を繰り出し賑やかに執り行われた。私の事業所は松原湯端町に所在しているので、お祭りに参加しだしてかれこれ30年に近くなるが、約15年前から山車の装飾係を拝命している。

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 雨のため巡幸を取りやめた町内が多かったが、子供達が楽しみにしていることからも湯端丸は町にくり出した。湯の花通りを抜けてキネマ通りに入る。アーケードなので雨に濡れることがないので子供踊り子隊が練習の成果をお披露目した。子供はスターである。

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 15日は絶好のお祭り日和だ。笛や太鼓にこぎみよい鐘が入ると胸の奥が高鳴るほどに気分が高揚してくる。夜の闇に提灯の明かりがノスタルジックだ。今年は蛍光灯を使わず昔ながらの電灯を付けた。去年までは白々とした色だったのだが、黄みを帯びた自然光が柔らかく加減の良い雰囲気を創ってくれた。踊り子隊も足を延ばし、中央商店街でも可愛い踊りを魅せた。昔に比べると山車を挽く子供達も少なくなった。このままでは伝統文化の存続に危機感が感じられる。

 残すために変わることが必要だと思う。神社の無い地区には伝統のお祭りが無い。新興住宅地の子供達はお祭りを味わうことが出来ないことになる。町内間交流による新たなコミュニティづくりが地域伝統文化を存続させる方法にもなるのだが・・・。

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 16日(木)強者どもが夢の後・・・静まりかえった山車を格納する。雨に湿った提灯を干し、お勝手を片づけた。祭典委員長さん他関係の皆様!!大変ご苦労様でした。今年も大過なくお祭りが終わりました。来年の委員長さんも、一年かけて、いいお祭りに仕立ててくれると思います。

松原八幡神社例大祭

 10/14(火)12時半より松原区関係者、氏子総代、市議会議員、御船歌保存会、祭典奉仕団等総勢70名による夕祭が行われた。厳かな典儀に続いて御輿が社殿に納められ、御霊入、神幸式と続き、発御を迎えた。 32名の祭典奉仕団によって担がれた御神輿は、さきども、お稚児さん、関係各位の行列を以て巡幸に入った。Img_0339_2 Img_0340

 187段の階段をおよそ1トンの御輿を担いで下るのだから大変だ。白装束に身を固めた奉仕団面々は口紙を咥え、言葉を発することはできない。神様への敬拝を言葉ではなく身体で示している証なのだろうか?

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あいにくの雨なのだが、沿道には見守る区民の列ができる。丸山町-猪戸通り-キネマ通り-修善寺街道-大川橋-按針通り-朝日町八幡神社-大川橋と来て、御船歌の奉納の中、御旅所に着御した。

 10/15(水)昨日とは別段の秋晴れである。10時の典儀から御船歌に送られて発御となった。Img_0364 Img_0368 Img_0369 Img_0370 Img_0371

 南口線-修善寺街道-海津美神社と巡幸を進めお昼になった。

海津美神社を後にしていよいよ海上渡御だ。Img_0372 Img_0374 Img_0375 Img_0378

神主の鎮祓祝詞の中、関係者が整列し海上渡御となる。砂浜には見渡す限りの人、人、人が連なる。

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 海上渡御は3回に亘った。見ている方も気が気ではない。顔の表情は苦痛に歪み、1トンの御輿を支え、海中では立ち泳ぎで渡御するのだから並大抵の頑張りではない。

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海から上がると恒例の御輿合戦となる。松原、湯川両区の区境で、お互いの御輿と男意気を競い合う。ややもすると一触即発の気概がぶつかる。はらはら冷や冷やの観衆は、ひいきの御輿に声援を送るのだが、押し寄せてくる御輿から逃げるのも命がけだ。

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 本祭りも最終段階となった。新たな白装束に着替えた祭典奉仕団が揃い、御船歌に送られて還御となった。御所車に乗せられた御輿が町を抜けて187段の松原八幡神社をお上りになった。社殿に納まった御神輿から神主の「うぉ~」の声で御魂がお帰りになった。夕祭は、雨だったが、無事に祭事の一切が執り行われたことは、関係各位のご尽力と盛り上げてくれた市民皆様の賜と感謝している。地域に根ざした伝統文化は、地域の責任として孫子の代まで伝え育んでいくものと実感した2日間だった。

2008年10月14日 (火)

御輿の組み立て

 10/13(月)三島から戻って9時頃八幡神社に向かった。今日こそ石段の数を数えようと思っていたのに、気がついた時には半分以上も上ったところだった。いつも同じ事を繰り返している。境内には祭典奉仕団の応援隊が焚き火を囲んで談笑している。胃の腑に染みる御神酒が威勢を後押ししているようだ。

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 御船歌の有志も昔話に花を咲かせている。「おらぁ頃は・・・」の話が多いのだが、時代時代の祭り観の変化が垣間見られて興味深い。空を見上げるとお月様だ。

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 社殿では奉仕団が御輿の組み立てをしている。もう23時になる。皆、上半身が裸になって御輿を境内に担ぎ出した。肩を合わせて輿棒のポジションを決めるのだ。まもなく24時になる。準備の完了を待って会館に集合だ。いよいよ垢離に入る。今晩は何回の垢離をするのだろうか?明日から例大祭となる。

秋祭り

 10/13(月)10時から松原八幡神社秋季例祭による湯端町山車の準備を行った。例年恒例の山車装飾委員長は、今年で何年になるのだろう?少なくとも20年に近い筈だ。

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 伊東市の秋祭りに巡幸する山車はおよそ30台あるのだが、その中で船をデザインしたのは、松原祭典奉仕団の「八幡丸」と我が湯端町の「湯端丸」の二台である。基本的な提灯飾りを終えた姿なのだが、夜の巡幸には提灯に灯が点って特別の祭り気分を盛り上げる。神酒所祭壇に飾る大榊の準備にも余念がない。

2008年10月12日 (日)

松原祭典奉仕団御籤取り式

 10/10(金)19時半、昼間の晴天は嘘のように雨が降り出した。来る10月14、15日の松原八幡神社秋季例祭への奉仕団団結式と御神輿運行の役割を決める御籤取り式が、八幡神社本殿で厳かに行われた。

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Img_0305 紙の両端に御神輿の担ぎ位置番号を書き入れ紙縒(こより)にしてある。神主のお祓いの後、氏子会長が鋏で真ん中から切って、一方を祭典奉仕団のそれぞれが引き取る。もう一方は、区長、区議会、氏子会、連合町内会、市議会、御船歌保存会が引いて発表する。当たった奉仕団員は大きな声で答え、32人の御神輿の役割が整うしきたりなのだ。このように様々な儀式、準備を経てお祭りを迎えているのだ。時代を溯るほど、地域に脈々と根ざした「お祭り」は一年を通じて最大のイベントだったに違いない。人間・地球、自分が有る、家族が有る、生業が有る、町が有る、万物への感謝を神様にお伝えする伝道の日がお祭りなのだ。五穀豊穣!家内安全!商売繁盛!長寿福徳!交通安全!松原万歳!伊東万歳!!

2008年10月 1日 (水)

御船歌詠い始め奉告祭

9/30(火)19時半から平成20年度松原八幡神社秋季例祭への御船歌詠い始め奉告祭が執り行われた。そぼ降る冷たい雨の中に、厳かな祝詞(のりと)と荘厳な御船歌が響き渡った。Img_0193 Img_0194 Img_0196 Img_0198 Img_0199

 松原財産区、氏子総代会、連合町内会、祭典奉仕団と我が御船歌が結集して盛大な秋祭りを挙行する儀式は、滞りなく終わりなおらいとなった。Img_0190 Img_0191

松原神社社殿には、13代南部屋五郎右ヱ門の作である御神輿が供えられている。京御輿と言われるが故に力強くもあり艶(あで)やかでもある。13日の晩に松原祭典奉仕団の面々が輿棒を入れ組み立て方合わせをする。その後、御神輿に係わる奉仕団員の清めの儀式として「松原海岸より入水し、垢離を執る」にあたり、御仮屋で御船歌を奉納するのだ。私は、昨年初めてこの儀式に立ち会わせてもらった。輿艦長の「垢離」の号令に真っ裸になって海に走るのだ。それは翌朝までに何回も行われるそうだ。ふる里に生まれ育つ感謝をふる里に帰す!これが伝統の文化なのだろう。綿々と伝わり、綿々と伝え伝えていくことが継承であり顕彰でもある。今年の例大祭も心新たに体感する。

20081002153533 さっそく、10/2(木)伊豆新聞朝刊に掲載された紙面である。。

 今年の詠い始めに御奉納した御船歌「船ぞろい」について、その歌意を綴ってみる。 

 松原の地に伝承される4曲の中で唯一、北條早雲と言う人物を題材にしている。溯ること明応2年(1493年)、伊豆半島を配下に治めた伊勢新九郎(後の北條早雲)は、更に伊豆諸島の制圧に乗り出し、激しい黒潮が波打つ灘を48艘の軍船で乗り切った勝ち戦を、北條軍団進軍の語り部として詠い継がれたものである。 御神輿を先導するように御船歌でいざなう様をご覧いただき、伝統の秋祭りを楽しんで戴きたい。

2008年7月20日 (日)

和田の湯江戸献上

 7/19(土)午前10時から「伊東和田の湯江戸献上」の出港式典に出席した。Img_2462 Img_2466 Img_2471 Img_2461 Img_2470

 慶安4年(1650年)徳川三代将軍家光公に、和田の湯が献上されたと言う史実に基づき、玖須美文化振興会がヨットマンを中心とする市民有志の協力のもとに主催した。平成15年の開始から6回目を迎える懐古イベントである。

 家康公の命により1603年から始まった「江戸城普請」から約50年後の史実であるが、3代将軍家光公は慶安2年(1649年)頃から病気がちになったために、温泉治療を施すことになった。予てから徳川御三家の紀伊家が、伊東の富戸にボラ納屋を持ち、網に入ったボラを将軍に献上していたこともあって、伊東和田の湯が選ばれ運ばれたと言う。この搬送に使われた船を「お汲み湯送りの船」と呼ばれたそうな!湯田の湯の薬効は見事に家光公を回復に向かわせ、「公方様の病を癒したいで湯」として城下の評判となって伊東は、湯治場として賑わうようになったと伝えられている。

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 式典も終了し、樽詰めにされた200リットルの和田の湯は、海の男達のヨットに積み込まれ、見送りの中を一路「江戸」佃島の住吉神社へ向かった。このお湯が、高齢者福祉施設に運ばれ、入居されている方々の身体と心を温め癒してくれることになる。

2008年7月18日 (金)

玖須美天照皇大神社例祭

 7/15(火)14時から、玖須美「天照皇大神社」夕祭が古式豊かに執り行われた。

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 区長、氏子会、町内会、区議会と地元市議有志が参加した。炎天の暑い中、神社の境内、本殿は思いの他涼しさが漂う。かっては賑やかな神事が執り行われ、夜店に子ども達が群がる光景があったに違いない。神社は地域のコミュニティの場であり、心の安心を得る場でもあった。生活に係わる様々な感謝や願いが託された心のふる里であった。唱歌「村まつり」にあるように、ドンドンしゃらら、ドンしゃらら・・・と聞こえてくるようだ。

 此の地の守り神として、今年の年末はお参りをしようと心した。

2008年7月 1日 (火)

大祓式&植樹奉告祭

 6/30(月)15時、松原八幡神社で恒例の大祓式が行われた。本殿真正面に設けられた「茅の輪」をくぐって本殿にお参りした。昔から衣替えの季節として心身に積もった災いを「夏越の大祓」で禊ぎ(みそぎ)、余す半年を元気で働き、過ごすことを祈願する神事である。松原八幡神社氏子、松原財産区、御船歌保存会、消防団、崇敬者、地元市議会議員等、およそ80名が参席して厳かに執り行われた。

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 玉串の奉奠が終わり、神事の締めくくりは、なおらいとなる。御神酒を戴き総ての禊ぎが滞りなく終了した。

 神社には御神輿が納められている。例年秋の例祭には、ご神体が輿に納まり、この急階段をお下りになる。御船歌は御神輿を先導する古式豊かな無形文化である。松原御船歌保存会40周年の節目に、本榊の植樹奉告祭がつづいて行われた。

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 地域に伝わる無形文化は、日を追う毎に伝承が薄れている。松原御船歌保存会は、構成に歌い次がれる為の基盤づくりとして、歴史と言葉を・・・書面に残す・映像に残す・録音に残す・無形文化としての心を残す・・・こととして文化財の価値を伝承する活動を行っている。私たちは、皆様とともに熱き郷土愛を結集して、先人の培った「ふる里伊東」を大切に守り育てていく所存である。

2008年5月28日 (水)

祐親祭り「松原御船歌奉納」

 5/25(日)伊東の祖・伊東祐親公を讃える「祐親祭り」が開催された。前日24日の薪能は、台風で流された水上舞台を突貫復旧したものの、またも雨で観光会館ホールに移された。関係各位の無念さはいかばかりかと察するところである。

20080528112750 この写真は水上舞台で奉納した昨年のものである。今年は観光会館大ホールで舞台に立ったのだが、出演者の一人なので写真を撮ることができなかった。舞台構成は、松原八幡神社島田宮司による清め祓いと、巫女による鈴祓いののち、御船歌「初春」「船ぞろい」の奉納である。秋期例祭同様、言葉を発しないしきたりの中、口紙を咥えて勢揃いした。館内に響き渡る抑揚豊かな御船歌は会場の皆様に、家内安全と長寿福徳をお届けできたものと思っている。進行上の反省はあるが、この日の為に稽古を重ねた甲斐があったものと感じている。さぁ次は、秋のお祭りだ!!

2008年1月19日 (土)

松原どんど焼

 1/14(月)松原区仲町が主体となった新年の伝統行事「どんど焼」が行われた。例年に比べ日程が遅くなったことで、お飾りが集まるのか?心配しいてたようだ。

Img_1736  仲町青年部諸氏による準備も整い式典に入り、無病息災・家内安全・商売繁盛・交通安全・観光振興・・・・・様々な祈願を込めて点火された。

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 勢いよく燃え上がる炎が天に上がっていく!皆の願いを届けてくれるに違いない。

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傍らでは、伊東名物の「ひもの」を焼いている。豚汁も列ができるほどに人気者である。寒い冬の伊東オレンジビーチに新春の温かみが届けられた。今年も佳き年でありますよう・・・。

2008年1月 5日 (土)

松原八幡神社越年祭

 大晦日午後11時、松原御船歌保存会、松原神社氏子会が主導して越年祭が行われた。毎年恒例であるが、千人近い市民が無病息災・家内安全・商売繁盛の佳き年の願いとともに、旧年への感謝を祈願するものである。

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 本殿に向かう道筋には、溢れんばかりの人・ひと・ヒトの列が続いている。

 御船歌保存会は、テントを張って祝い酒、お汁粉や焼きたての干物を振る舞っている。

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 そして、先着500名に御神酒をプレゼントしているのだ。勿論未成年の皆さんにはお配りはしないのだが、迷ってしまう程に落ち着いた顔立ちのヒトもいるから困る!

 積み上げたもしきの火は絶えることなく炎を上げているが、まもなく午前2時に近い。片付けを済ませて家路に着いた。今年が始まる!!!

 元旦は、恒例の墓参りから始まった。実家(多賀)に寄り10時には松原八幡神社の元旦祭に出席する。午後1時から出来湯権現祭、2時からは玖須美の天照皇大神社元旦祭に列席した。今年が始まった!!!

2007年8月11日 (土)

松原御船歌保存会親睦バーベキュー

 7/21(土)恒例のバーベキュー大会が松原海岸で行われた。秋の例大祭に向かう心意気を御船歌、祭典奉仕団(消防団)、氏子会、松原区の有志が参集し、呑み、語り、食し、結集することが大きな意義である。

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Img_1411 上手そうな干物や肉が焼き上がる。鯖みりん干しの油ののりは最高~だ!!

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 宴たけなわの会場は、海の家になった。折しもの雨に移動することになった訳だ。バーベキューは急きょお座敷宴会である。

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 貴重な年代物、さつま「おはら」の焼酎と新鮮な刺身が差し入れされた。調子は上々!!

 様々な人、様々なお役目が関わり郷土の歴史文化が永らえ、伝統が人伝いしていくのだ。誰かがやってくれるではなく、自分たちが矢面に立って受け継ぎ、次の世代を背負う子供達にしっかりと伝えていくことが現世代の責任でもある。

2007年7月19日 (木)

天照皇大神社御例祭

 7/15(土)・16(日) 玖須美神社(天照皇大神社)の例祭が執り行われた。おりしもの台風4号の影響を受け、両日とも神事のみの執行となった。

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 伊東市役所の下手、仏現寺さんのやや下にある大行寺さんの上手に位置する玖須美神社は、天然記念物の大楠で知られる葛見神社と間違われるようだ。祭事を司り、神社をお守りする宮司様が、時代の転換と共に変わりながら今に至っているようである。常任の宮司様が位置付くように、区の皆様がご尽力されている現状であり、一日も早く就任され、地域が祀る神社として皆さんの顔合わせの場となる事を願っている。

Img_1390  厳かな中で、祝詞があげられ、お供物が供えられると神様が御扉の奥からお出ましになると言う・・・が見過ごしてしまったようだ。そして、玉串の奉奠と続き夕祭が終了した。

 翌16日の神事では、神様が御扉の奥にお戻りになる神事が執り行われた。それにしても、御扉の開閉の際に出る絞り出すような、冷厳なるギギギーと鳴る音のまか不思議な感覚は、ハリーポッターのようでもあり、立て付けの悪い建具のようでもあった。

 子供達が楽しみにしている山車の曳き回しは、一週間の順延となった。

2007年6月 2日 (土)

松原御船歌・伊東祐親祭り奉納

 5/27(日)午後3時、祐親祭り水上舞台で松原御船歌の奉納である。事前に松原温泉会館へ集合して声慣らしをする。ノドの通りは上々だ。会場の東海館へ入る。

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いなせな鉢巻き姿で出番を待つ。神主さんも着替えに余念がない。

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準備万端!!この後舞台袖の鏡の間へ移動し、いよいよ本番に臨んだ。

 昨年に比べると出演者が少なかったが、立派な舞台を勤め上げたと好評を頂いた。今年は松原御船歌40周年でもあり、伝統文化の継承事業として、御船歌今日までの歴史的顕彰やのCDへの吹き込み、記念式典を計画中である。是非注目していただきたい事と、同志として行動する参加者を募っている。

2006年10月18日 (水)

伊東・松原八幡神社例祭

 10/14(土)の宵宮から始まった松原八幡神社例祭は、厳かな神事の後、御船歌「初春」の朗々たる吟唱の中、御魂がお乗りになった御神輿が白装束の若衆によって担がれ境内から、数百段の階段を下っていく。Img_0840

露払い、貝吹き、威儀物、稚児、来賓、崇敬者、市・区議会議員、町内会役員、氏子総代、区長、氏子会長、汐花、巫女、神職に続き御神輿、そして御船歌保存会、祭典奉仕団と百数十名の行列が市内を巡幸する。

Img_0843 発御から朝日町八幡神社の休憩まで、一時間の余が経過しただろうか!何せ1トンに迫る神輿を肩に練り歩くのである。担ぎ手は口に白紙をくわえ言葉を発しないことがしきたりとなっている。そして小一時間で御旅所に着御した。勿論御船歌の吟唱で迎入れることが習わしである。神様は今晩、ここで御休みになられる。

 10/15(日)本祭りの朝は厳かに明けた。御船歌に送られて御旅所を後にする。Img_0848町内巡幸から海津美(わだつみ)神社に着御するのもつかの間、神職による祝詞奏上の後、海上渡御に歩を進めた。

 海は荒れて白波が立っている。海上渡御は命がけである。白装束の若き担ぎ手達は果敢に海に繰り出すも、波の勢いに圧され四苦八苦の様相だ。Img_0849

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 神輿の海上渡御は奇数回行われるのが習わしとされている。この荒波では3回が精一杯だ。軟弱な若者と言われるが、決してそんなことはない。白紙を口に食いしばる形相に、郷土の将来を担う心意気を充分に感じとることができた。

 御旅所に戻り装束の更衣を済ませると、一足先に上がった湯川との神輿合戦が始まる。松原、湯川を区切る四辻で交互に神輿が回り合う。いずれの神輿も1000キロに迫る大物であり、それを勢いにまかせて練り回るから観衆の中に突っ込んでくる。高めの烏帽子を付けた格上の若衆が体を張って制御する姿が壮観である。Img_0861

Img_0858 屋根の赤茶が松原、黒が湯川の神輿である。昔から湯川の男神輿、松原の女神輿と言われるが、この色や造りの由縁であろうか?

 例祭も終盤にはいり、松原神社に着御する。Img_0863 神様は神殿の奥の扉を開けお帰りになられた。年に一度、最大の行事が終了した。様々な人々の関わりで伝統文化が継承され歴史を育んで行く。少子高齢化社会において、携わる人の減少と人間相互の連携が衰退している現状は、子ども達に伝えるべき責任を全うできるのか?祭りを執りつなげる郷土の継承ができるのか?この課題が年々大きくクローズアップするのは私だけではないと感じている。神社や町内を越えて、伊東の問題として議論する必要を強く感じた秋期例祭だった。

2006年8月 5日 (土)

松原御船歌保存会親睦会

 松原秋期例祭は例年10月14日・15日である。この歴史ある神事は、財産区会・氏子総代会・連合町内会・消防団・松原御船歌保存会等が、総力を挙げる相互連携によってこそ滞りなく執行されることになる。ここ松原海岸において、御船歌保存会の肝いりで、昨年に続く親睦バーベキュー会が行われた。

Img_0746 (歓談する参加者)

 乾杯の発声の後、御船歌師をはじめとする保存会員と心得のある参加者とが一つになり、海神を始めとする八百万の神々に、人々の安全と観光伊東の隆盛を祈念して、御船歌「船ぞろい」が奉納された。

Img_0749 (奉納している皆さん)

 アゲ歌(座っている4人)を囲んでガワ歌がもり立てる。アゲ歌は、地面に声をぶつけ、反射させる為に下を向いて歌う事が常なのだ。

Img_0753 (アゲ歌の皆さん)

 奉納した「船ぞろい」の解説をしてみよう。溯ること5百有余年、明応二年のことである。伊豆半島を配下に治めた伊勢新九郎こと、後の北條早雲は、更に伊豆諸島の制圧をもくろみ、激しい黒潮の波打ち付ける灘に船を進めました。海流乱れる難所、黒瀬川を乗り切った四十八艘の戦船の勢揃いに、立ち込める雲の狭間から閃光となった旭日が照らし出す様は、後北條の守護、伊勢天照大神が降臨するが如くの威容を誇り、水軍の勝ち戦は、伊豆全島を支配するに至りました。まさに「船ぞろい」は、北條軍団の難航と船戦の語り部として詠い継がれた御船歌なのです。

2006年5月31日 (水)

松原御船歌保存会・祐親まつり奉納舞台

 5/28(日)第31回「祐親まつり」水上舞台での御船歌御奉納である。実は昨日から降り続く雨に心配をしていた。午前中は公務として、ゴミゼロクリーン作戦に出陣予定だったのだが、中止になってしまう。自身が推進する地域エコ通貨「温銭」運営委員会としても協賛の中、温銭の使える事業所メニューに100温銭を添付して1200部を作成していたのだ。参加者全員に配る予定だったのに、とにかく残念の一言である。

 お昼近くに藤の広場へ出向く。NPO法人まちこん伊東の同志が、この祭りへ協賛出店してコーヒーやレモンを販売している。また、役員をしている伊東ミュージカル劇団の公演もあるので、団員を激励し舞台準備を手伝うことにした。400年前、伊東で日本初の洋式帆船ヴェンツェーラ号を造船したウィリアム・アダムスこと三浦按針の物語「青い目のサムライ」を演じた。子供達は、歌や踊りの先生達のレッスンを小さな体に受け止めて、立派なステージをつとめ上げた。大喝采である。その後、伊東祐親を顕彰するセレモニーへ市議として参加し、いよいよ御船歌奉納舞台が近づいてきた。

 久しぶりに着物に手を通すと気持ちが引き締まる。保存会揃いの袢纏を羽織り東海館へ向かう。水上舞台の出待ちは「鏡の間」である。水面に勇姿を映し心を整えることからの命名であろう。いよいよ出番だ!!松原神社杉本宮司を先頭に、あげ歌三名・がわ歌十名、そして御船歌「初春」と「八幡丸」の紹介役の私が位置付いた。風の流れをマイクが拾っている。ゴーゴーと音が耳に当たってくる。心を落ち着けて曲紹介に入った。

 最初の曲は、「初春」でございます。この歌は、激しい戦の中で、武勲、功を成し、やがて戦を納め、心のなごみを取り戻す時の移ろいが、四季の彩りになぞられて歌われた御船歌でございます。この御船歌は、松原神社秋期例祭におきまして、神社から御輿が発御するにあたり、最初に奉納する御船歌です。

 あら~めで~たいな~・・・・・・・・とあげ歌が入り、がわ歌と声を合わせる。出だしは上々、風に流されずに最後まで歌い上げた。次は「八幡丸」だ。一段と力が入る。

 万葉から江戸の世に連綿と伝わる、伊豆の造船にかかわる海人の思いが歌われております。400年前、家康の命を受け、この松川に注ぐ唐人川の河口で日本初の洋式帆船「按針丸」が建造されました。そして、その26年後、家光が乗船したとも言われる巨大軍船「安宅丸」の新造にも至った歴史ロマンでございます。松原は、八幡山に生い茂る楠で建造された戦船「八幡丸」の戦勝と航海への安全を、船内に祀る「船玉神社」の船神様に、海人の思いを祈願する様が歌われてります。この御船歌は、松原秋期例祭におきまして、海上渡御の際、松原海岸に祀られております海津美神社を御輿が発御するにあたり、御奉納申し上げる御船歌でございます。

 先にも増して、力強い「八幡丸」が14名の特訓の成果として、神々しい抑揚をもって歌いあげられた。観客席の真ん中に座した「御船歌師」山本義治師匠の満足そうな顔が印象的であった。一つの目的の為に、大の大人が素直に一つになれた意義深い奉納舞台であった。やり遂げた同志それぞれは、松原御船歌保存会の先行きに新たな意欲をかり立たせたに違いない。

20060611190212_edited (後列左端しが私です)

2006年5月 6日 (土)

伊東・松原御船歌保存会

 「御船歌(おんふなうた)」の定例稽古に参加した。伊東・松原に伝わる御船歌を後世に伝承するための保存会である。私は新参者で、居るだけのことしか出来ることがない。が、秋の例祭を執り行う重要な役割を果たしている「御船歌」の神にもとどく重厚な御歌に心を揺すられ、仲間に入れていただいたのが今年一月である。

20060516131854 (伊豆新聞より)

 「御船歌」の起源は定かではないが、鎌倉時代に溯るようだ。九州方面から、海で生活を営む人々によって我が郷土伊豆にも流れ伝ったとされている。紐解けば、室町時代、九州や瀬戸内の水軍や海賊衆が、軍兵の士気の高揚や統率の強化を目的に歌い始めたものであろうと言われる。海人の夢や生まれ育った土地への思いを歌詞に込め、歌い永らえて集団的な祝い歌として生活に位置付いたものと思われる。

20060516132154 (伊豆新聞より)

 当地松原では、松原神社例祭の執行組織として、松原消防団の団員やそのOB等が主軸となり編成され、氏神の御魂が入魂された御神輿が、海中渡御の巡幸に向け社を発御するとき、御仮宿に着御するとき、更に、催事を終え社に御神輿が着御し御魂を奉還する儀式の際に御船歌を奉納している。

20060516132045 (伊豆新聞より)

 来る5/28に開催される「祐親まつり」の水上舞台へ「御船歌」を奉納するために保存会会員の士気は上がっている。稽古には大先輩の山本御船歌師にご足労いただきご指導を仰いでいる。失礼な言い方だが、年齢に似つかわないボキャブラリィに溢れる言葉の遊びに感心している。また、体験の中から時代を彷彿とさせる話の数々に、古き良き時代の風俗、習慣がセピア色の生活映像として脳裏をよぎる想いである。まだ歌うお役目が出来ない私は、奉納する「初春」と「八幡丸」の説明をすることになった。着物に揃いの袢纏に身を整え、晴れの舞台へ立つ。

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