10/14(土)の宵宮から始まった松原八幡神社例祭は、厳かな神事の後、御船歌「初春」の朗々たる吟唱の中、御魂がお乗りになった御神輿が白装束の若衆によって担がれ境内から、数百段の階段を下っていく。
露払い、貝吹き、威儀物、稚児、来賓、崇敬者、市・区議会議員、町内会役員、氏子総代、区長、氏子会長、汐花、巫女、神職に続き御神輿、そして御船歌保存会、祭典奉仕団と百数十名の行列が市内を巡幸する。
発御から朝日町八幡神社の休憩まで、一時間の余が経過しただろうか!何せ1トンに迫る神輿を肩に練り歩くのである。担ぎ手は口に白紙をくわえ言葉を発しないことがしきたりとなっている。そして小一時間で御旅所に着御した。勿論御船歌の吟唱で迎入れることが習わしである。神様は今晩、ここで御休みになられる。
10/15(日)本祭りの朝は厳かに明けた。御船歌に送られて御旅所を後にする。
町内巡幸から海津美(わだつみ)神社に着御するのもつかの間、神職による祝詞奏上の後、海上渡御に歩を進めた。
海は荒れて白波が立っている。海上渡御は命がけである。白装束の若き担ぎ手達は果敢に海に繰り出すも、波の勢いに圧され四苦八苦の様相だ。
神輿の海上渡御は奇数回行われるのが習わしとされている。この荒波では3回が精一杯だ。軟弱な若者と言われるが、決してそんなことはない。白紙を口に食いしばる形相に、郷土の将来を担う心意気を充分に感じとることができた。
御旅所に戻り装束の更衣を済ませると、一足先に上がった湯川との神輿合戦が始まる。松原、湯川を区切る四辻で交互に神輿が回り合う。いずれの神輿も1000キロに迫る大物であり、それを勢いにまかせて練り回るから観衆の中に突っ込んでくる。高めの烏帽子を付けた格上の若衆が体を張って制御する姿が壮観である。
屋根の赤茶が松原、黒が湯川の神輿である。昔から湯川の男神輿、松原の女神輿と言われるが、この色や造りの由縁であろうか?
例祭も終盤にはいり、松原神社に着御する。
神様は神殿の奥の扉を開けお帰りになられた。年に一度、最大の行事が終了した。様々な人々の関わりで伝統文化が継承され歴史を育んで行く。少子高齢化社会において、携わる人の減少と人間相互の連携が衰退している現状は、子ども達に伝えるべき責任を全うできるのか?祭りを執りつなげる郷土の継承ができるのか?この課題が年々大きくクローズアップするのは私だけではないと感じている。神社や町内を越えて、伊東の問題として議論する必要を強く感じた秋期例祭だった。
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